感想記

ネタバレ注意。乾燥注意。

「凪のお暇」と「きみが心に棲みついた」

書評サイトから、書評を書く代りに貰ったコナリミサトという人の漫画、「凪のお暇」の1巻を読んでのあれやこれや。

 

最初に明記しておきたいのだが、これから私が書くことは、1巻のみを読んだ現時点での意見であり、初回から最終回までの作品全体に対する意見ではない。

 

 パクり疑惑

私がこの漫画から受けた最も強い印象は、ちょくちょく見ていたテレビドラマ「きみが心に棲みついた」との類似点が多いということだった。

 

ドラマの「きみが心に棲みついた」の原作は天堂きりんという人の漫画だったので、ツタヤに置いてあった原作漫画(「きみが心に棲みついた」1〜3巻と、出版社移籍後に書かれた続き、「きみが心に棲みついたs」1〜5巻。6巻は置いてなかったので。)を読んで二つを比較してみる事にした。

 

 

注意: 「きみが心に棲みついた」のネタバレあり

 

 

で、「きみが心に棲みついた」だが、この漫画はキョドコ、星名さん、吉崎さんによる三角関係という形式を採っており、さらに、この三角形のそれぞれの点に、今の自分、今までの自分、これからの自分、といったような概念が盛り込まれて作られた漫画のようだった。未来への変化を促す吉崎さんという点と、過去へと時間を戻そうとする星名さんという点が、現在のキョドコという点を引っ張っているがというような図をもって、この漫画は理解できるだろう。(キョドコが二つの点の間で揺れ動いているでもいいけど。)

 

「凪のお暇」はというと、巻末の次回予告のようなページを見たところ、この漫画も凪、慎二、ゴンさんによる三角関係の様相を呈するものと思われる。さらに、「きみが心に棲みついた」同様、この漫画の三角関係も、今、今まで、これからの自分といった概念を使って理解することができそうだ。

 

「凪のお暇」1巻の時点では、ゴンさんについてあまり多くは描かれていなかったので、ゴンさんと吉崎さんの比較はできないが、凪とキョドコ、慎二と星名さんとの類似点について見ていきたいと思う。

 

凪とキョドコ

どちらも28歳の女性で、今までの自分を変えたいと思っている。とりあえず、凪、キョドコの「今までの自分」をそれぞれ見てみよう。

 

凪の今までの自分は、作品の中では「空気を読みすぎる」というふうに表現されているが、実際は、この表現では捉えきれていない部分もあると思う。凪の今までの自分をよりよく把握するために、いくつか凪が変えたいと思っている自分の例を挙げてみよう。

 

  1. お弁当があるのに、人に合わせて外にランチを食べに行った自分(p6)
  2. 職場で、人に利用されている自分(p126)
  3. 人から透明人間のように相手にされない自分(p113)
  4. なぜか慎二の言う事を聞いてしまう自分(p90)

 

一方、キョドコの今までの自分を表すキーワードは「すぐに人に流される」(1巻1話、吉崎さんとの会話)のようだが、これも少し意味が狭いように思うので、凪の時と同様に例を挙げてみたい。

 

  1. テキーラが飲みたいのに、堀田さんに合わせて飲み物を頼んだ自分(1巻1話)
  2. 合コンの数合わせに利用される自分(1巻6話)
  3. サークルの新歓イベントで、人から相手にされない自分(1巻6話)
  4. 星名さんに支配されている自分

 

「空気を読みすぎる」と「人に流される」というのは、言葉は違えど、ほぼほぼ同じような人物を形容するものと思われるし、勿論、意図的にそれぞれの番号の内容が呼応するようにしているのだが、同じ番号の例を見ると、凪とキョドコの今までの自分というのは、よく似ていると思われる。

 

 

次に、今までの自分という制約を外して、凪とキョドコに関する類似点を見ていくと、

 

自分を変えようと、凪が図書館で「自分の変え方」といったような実用書を借りたように、キョドコも同様の実用書を読み、サークルの新歓イベントで実践しようとしていた。

 

 凪がくせ毛を母親にといてもらっていたように、キョドコも母親に三つ編みを編んでもらっていた。

 

また、髪に関しては言うと、凪の無理矢理直されたくせ毛は、凪の今までの自分を象徴しており(この点については、後でもう少し)、凪の変化を嫌う慎二は、凪に髪をストレートに戻すように迫っている。

 

キョドコはというと、キョドコの今までの自分の象徴もまた髪に関係している。キョドコの今までの自分の象徴は中尾巻きのスカーフだが、これは星名さんが、キョドコの三つ編みを解き、代りにスカーフを編んだ物である。そして、キョドコの変化を疎む星名さんは、キョドコが中尾巻きを外すことを許そうとしない。 

 

ストパーをあてるのを止めた凪と、未だに中尾巻きをやめないキョドコ、多少の違いがあるにせよ、髪に関するものが今までの自分を象徴している点、主人公の変化を嫌う登場人物が、主人公の今までの自分の象徴に対して干渉してくる点において、この二つの漫画は似ているように思う。

 

 

慎二と星名さんの話が出たので、彼らの類似点に移ろう。

 

慎二と星名さん

二人とも表と裏のあるドS系で、主人公とは逆のタイプの人間として登場する。しかし、二人とも主人公との間に無視できない共通点がある。また、二人共、主人公に対して執着心がある。

 

慎二も星名さんも、普段、会社の人達に見せている表の顔と(慎二p40、星名さんs4巻17話)、主人公に見せる裏の顔の二つがある。 で、この裏の顔が二人ともドS系。

 

星名さんのドSぶりは言うまでもないとして、慎二も、凪の新居での言動を見ると、ドSと言って問題なさそうに思う。また、彼の凪に対する、お前は変われない、といった宣言(p100)は、星名さんのキョドコに対する、お前は俺から離れられない、といった宣言(1巻4話)を思い起こさせる。

 

慎二は容量がよく人気があり、一見、凪とは全く違ったタイプの人間のように思えるが、慎二も凪同様、空気を読んで生きている人間であり、この点に於いて凪と凄く似ているタイプだと言える。

 

慎二が実は空気を読んでいる人間だという根拠としては、男同士のノリで発言している点(p97)、営業先の相手に合わせて行動している点(p118)、キャバクラという場のノリを考えて行動している点(p153)等が挙げられる。

 

それから、この漫画の冒頭で、凪が豆苗に触れていたが(p4)、慎二も、あたかも凪のするように、凪の部屋で豆苗に触れていた(p16)。この描写からも、二人が似通った人間である事が伺える。

 

(余談になるが、なんで凪は豆苗を触っていたんだろう? 愛おしい存在として、愛でていたようにも思えるが、一つ前のコマを見ると、なんとなく豆苗が萎れている感じがしなくもない。もしかしたら、凪は萎えている自分の心を奮い立たせるように、萎えて曲がった豆苗を真っすぐ上に向かせようとしていたのかもしれない。ん? 曲がった? 真っすぐ? 豆苗と凪の髪は関係しているんだろうか? 考え過ぎか? 正直、この漫画は、ちゃんと考えて描かれているようには思えない部分が多い。しかし、「相棒」の右京さんよろしく、細かいことが気になるのが僕の悪い癖でして。)

 

星名さんとキョドコが似ているということに関しては、二人とも、子供の頃虐められていた点、親から嫌われていた点、人から必要とされたいと願っている点(s1巻、0話と4話)等を考慮すれば納得できるんではないだろうか。

 

慎二と星名さんが、それぞれ、凪、キョドコに対して執着しているということについては、わざわざ書く必要もないと思うので省略するが、彼らの執着がいったいどういったものなのかは、また後ほど考えてみたいと思う。

 

 類似点が意味するもの

さてさて、「凪のお暇」と「きみが心に棲みついた」には、似ている所があるというのは納得して頂いたと思うのだが、これらの類似点は、いったい何を意味しているのだろうか?

 

偶然、複数の類似点が二つの漫画に描かれてしまったということなのか? 

 

しかし、「相棒」の右京さんも言っている、たまたまが続いていいのは2回まで。となると、偶然である可能性は低い。で、偶然でないとすると、残る可能性はたった一つ、そう、

 

 

「凪のお暇」のコナリミサトと「きみが心に棲みついた」の天堂きりんは、実は同一人物だったのだ。

 

 

そんなわけあるか!

 

まぁ、パクリなんだろうけど、ネットで調べたところ、「君が心に棲みついた」の連載が2011年に始っているのに対し、「凪のお暇」の連載開始は2016年。なので、「凪のお暇」が「君が心に棲みついた」のパクリということになる。(もしくは、両方ともが他の第3の作品のパクリという可能性もあるが。)

 

パクリと一口に言っても、色々あるわけで、パクリ即、悪というわけではない。和歌の本歌取りやレプリカジーンズなんかの、むしろ賞讃されているようなパクリもある。尾形光琳風神雷神図屏風など、俵屋宗達のほぼほぼ丸パクリにも関わらず、重要文化財にまで指定されている。コナリミサトのパクリは許容範囲のものなのか、それとも、恥ずべきものなのか、1巻を読んだだけでは、まだ分からないのかもしれない。

 

それから、もしかしたら、本当に単なる偶然で、二つの作品に複数の類似点が生じたという可能性も、ないわけではない。

 

若干、否定的になるが、独創的な作品を作れる人間は、世の中にあまりいない。コナリミサトと天堂きりんが大体同世代の人間だと考えると、二人共、同じような環境の中で育ってきているわけで、そんな二人が同じようなことを考え、同じような漫画を描いたとしても、そんなに不思議なことではない。また、みんなが同じようなことを考えているからこそ、両漫画が世間の共感を得て、売り上げを延ばしたのだろう。(私の貰った「凪のお暇」は第6版となっていたし、「きみが心に棲みついた」はドラマ化までされている。) 平凡であることは商業的な成功には欠かせないことなのかもしれないし、この二つの漫画は時代を反映した作品とも言えるのかもしれない。

 

 

慎二の執着

慎二の凪に対する執着だが、これは一体どこから来るものなんだろう? 彼女に対する恋愛感情からのものなのか?

 

職場の人達と行ったキャバクラで、キャバ嬢に対して、慎二は凪のことが、まだすごく好きだと言っていたが、それが本当だとすると、一体、慎二はなぜ凪のことがそんなに好きなんだろう? ただ単に、さらさらヘアーの巨乳ということで、凪のことが好きだったのだろうか? だったら別の人、あのキャバ嬢でもいいだろうに。

 

それから、慎二が凪を本当に好きだとして、それでは一体なぜ彼は凪に対して、「おまえブスになったな」(p82)だとか「すべってんだよおまえ」(p100)といった発言をしたんだろうか? 空気を読むのに長けている慎二が、これらの発言により凪がどう感じるか分からなかったはずもないので、これらはやはり意図的に凪を傷つけようとしたものなんだと思う。だとすると、何で慎二は凪を傷つけたかったんだろうか? これは慎二の屈折した愛情表現なんだろうか? だとすると、ますます星名さんっぽい感じがするが、どうなんだろう?

 

また、凪の新居からの帰り道で慎二は泣いていたようだが(p103)、彼は一体、何で泣いたんだろうか? 凪が関わらないで欲しいと言ったから? 凪が変わろうとしているから? 凪にひどい事を言ったために自己嫌悪に陥ったから? ここで、仮の答えを出そうと思えば出せるだろうが、2巻以降を読むべきなのかもしれない。

 

慎二はさておき、星名さんのキョドコに対する執着は、なんなんだろうか? 大学を卒業してからも、2ヶ月に一回くらい非通知で、キョドコに連絡していたということだが、彼は一体、なんでそんなことをしていたんだろう?

 

飯田さんは、仕事で利用するための道具という感じがするが、大学時代からキョドコに対しては執着しているようだし、仕事のため、というわけではない。また、星名さんはキョドコと体の関係がないので、レーコさんのようなセフレというわけでもない。

 

それから、肉体関係についてだが、星名さんは、しばらくレーコさんを相手にしなくなっていたようだが、キョドコを交えたバーベキューの後では、レーコさんと肉体関係を結び、その行為の最中にキョドコのことを考えていた(s4巻24話)。そして、その時、彼の頭にあったのは、「星名君のオモチャ取られちゃっうってか」という牧村さんの発言。うーん。。。 星名さんは、キョドコを奪われることに興奮していたのか?

 

今のところよくわからないが、なんとなく、天堂きりんが持って行きたい方向性は、星名さんのキョドコに対する執着は愛情だった、というものなんじゃないかなぁと思う。

 

星名さんの少年時代のエピソードで、星名さんは、子猫を愛おしそうに抱き、そして、絞め殺していた。これが、星名さんの屈折した愛情表現とすると、キョドコに対する星名さんの行為も愛情表現として考える事ができる。

 

 

 

表現力

漫画独特の表現に着目して、話をしてみたいと思う。

 

まず、上でも話した慎二が泣いているシーンの描写だが、個人的には非常に分かり難いと感じた。一瞬、新しい登場人物が出てきて、別の展開が始ったのかと思った。

 

慎二の後ろ姿に明らかな特徴があるわけもないのだから、二コマ目では慎二の泣いている顔を描くべきだったんじゃないだろうか? 少なくとも、変化の乏しいコマを二つも続ける必要はなかったように思う。

 

次に、凪が坂本さんと職安のトイレで会話している場面(p114−116)で、ハンドドライヤーと会話の吹き出しだけのコマがあるのだが、何故ここで、丸々一個コマを使ってドライヤーを描かないといけなかったのかよくわからない。

 

このコマがあることにより、ドライヤーに重要な意味があると思ってしまったのだが、どうも、そういうわけではなさそうだ。

 

で、このコマが描かれた理由だが、コナリミサトに人物の表情の変化で会話のシーンを成り立たせる能力がないからなんじゃないだろうか? そんな気がしてならなかった(「きみが心に棲みついた」にも、トイレでの会話の場面があったが(s4巻18、19話)、こちらはつまずくことなく、スムーズに読む事ができた。)

 

このトイレでの場面には、さらに、もう一つ問題があると思う。トイレの会話の後、なぜだか職安の入り口のコマがあり、その後、凪が外を歩いているコマが続いているのだが、この入り口のコマが、ここにある理由がよくわからない。

 

トイレでの場面の後に職安の中で物語が展開していくわけではないし、今までのことが職安の建物内で起っていたことは、読者には明らかなのだから、ここに職安の入り口のコマを入れる必要はない。個人的にここに入れるべきだった思われるコマは、トイレでの会話の後、凪が職安内でもう少し作業をしたことにより時間が経過したということを表すコマだったんじゃないかと思う。

 

同じような理由でp120のハローワークの入り口のコマも不可解に思えた。また、ここで、坂本さんが違う服を着ている事から、このシーンはそれまでのシーンとは別の日に起っているとものと思えるのだが、それなら、もっとハッキリと時間がたったということを表す必要があったように思う。ちょっと、分かりにくい。

 

 

上の階のおばあさん

凪は上の階のおばあさんが、ボロボロの服を着て、パンの耳を貰っていたりしているのを見て、彼女が不幸な人間であると考えた。しかし、凪は、ベランダに落ちてきたおばあさんのモモヒキを返しに行った際、おばあさんが映画鑑賞用の設備の整ったキレイな部屋に住んでいる事や、パンの耳でおいしいポッキーを作っていたりしていたことを知り、パッと見だけで、おばあさんを不幸な人だと思ったのは間違いであり、実は彼女は幸せな人生を送っている人なんだと考えを改めた。

 

他人の一部分だけ見て、その人が不幸だと判断するのが間違いだというなら、その人物の別の一部分だけを見て、その人が幸福だとするのも、全く同じ間違いなんじゃないだろうか?

 

 

坂本さん

不可解

職安で出会った、友達になれそうな坂本さんと、凪はお茶を飲む事にしたのだが、坂本さんはその場へ知人二人を呼び、凪に運気の上がる石を購入するようもちかけてきた。凪は坂本さんが営利目的で自分に親しく接していたと思い、石の購入を断り、その場から急いで立ち去った。しかし、坂本さんが追いかけてきて、石の効力は本当であること、凪と本当に友達になりたいと思っていたこと、そして、石の購入を人に勧めたおかげで、友達が誰もいなくなったことを、泣きながら凪に告げた。凪はくせ毛を止めていた複数のピンを外し、坂本さんに石抜きでなら、友達になりたいと告げた。

 

坂本さんが凪に石購入を勧めるために呼んだ知人は、坂本さんにとって一体なんだったんだろう?

 

友達が誰もいなくなったという坂本さんの発言が本当なら、彼女達は坂本さんにとって非友達ということになる。坂本さんが営利目的以外で、凪と接していたとすれば、友達でもなんでもない人達を、なんで凪と引き合わせようとしたんだろうか? ちょっと、よくわからない。

 

坂本さんが石の力を本当に信じているとして、現実的に自然な流れは、凪が退席した後、坂本さんと二人の友達(友達と考える方が自然)は、せっかく、こんなに素晴らしい石を紹介してあげたのに、なんで彼女は帰ってしまったのだろう。。。 こんな素晴らしい機会を逃してしまうなんて、あの人はなんて気の毒な人なんだろう、などという会話をするんじゃないだろうか。

 

石の力を信じている坂本さんが、それを全否定する凪と友達になれるというのも、イマイチ納得いかない。

 

坂本さんの石信仰は、坂本さんの人間としての根幹にあるもののように思える。これが正しいとすれば、坂本さんが、彼女の人としての根幹を否定する凪と友達になりたいと思ったとは思えない。また、逆に、坂本さんの石信仰が彼女の根幹にあるようなものでないとするなら、もし、坂本さんにとって、石がそんなに重要なものでないなら、だとしたら、坂本さんが、わざわざ凪に石の購入を勧めた理由がよくわからない。石が重要だからこそ、友達になりたいと思った凪に勧めたはずなのだから。

 

ちなみに、なんでコナリミサトがこのエピソードを挿入したかを推測すると、

 

この漫画の2話から4話には、それぞれ、凪が少し幸せになるプチサプライズ的なエピソードが含まれている。

 

  • 上記のおばあさんの話
  • スーパーのレジの怖い顔の人が、実は優しい人で、怖い顔は緊張からのもだったという話。
  • 隣の小学生が、スベッてるというような目で凪を見ていたと思ったら、実は凪にとってコンプレックスだった髪が好きだったという話。

 

コナリミサトは、この流れに沿って、5話でも幸せプチサプライズを入れようと、あんまりちゃんと考えないで、この坂本さんのエピソードを描いてしまったんじゃないだろうか?

 

 女優、凪

それから、凪が坂本さんに対し、石抜きでなら、友達になりたいと言った際、彼女はヘアピンをわざわざ外していたが、これは何のための行動だったんだろう?

 

多分、自分の本心をさらけ出してきた坂本さんに対し、凪も自分のありのままの姿をさらけ出して答えている、という表現なんだろうけど、これは本当に必要だったんだろうか?

 

カフェで、石なんていらないと言って、席を立った時点で、凪は自分をさらけだしていたのだから、ヘアピンをとるという凪の行動は、なんとなく蛇足な気がする。

 

また、坂本さんにとっては、凪の行動が何を意味するかなど知るよしもないのだから、この行動は、凪の自己満足のための行動であり、芝居がかっている感じがする。そして、芝居だとすると、ありのままの自分をさらけだすというのから真逆の行動のようなにも思える。

 

 

犯罪

私は凪から、あまりいい印象を受けなかった。というのも、凪は失業手当を不正受給する犯罪者だからだ。

 

まず、5話の冒頭で、凪は、「仕事を探しに」ではなく、「失業手当をもらうために、いざ職安へ」と言っている。

 

また、「失業認定日までは就活アピールしなくちゃですもんね」と言っている坂本さんに対し、凪は「アピールなんて、人聞きが悪い」とは言っているものの、パソコンを操作しながら、「なんかヨコシマな感じが。。。」と心の中でつぶやいている。凪に本当に働く意志があり仕事を探しているのなら、ヨコシマな感じがするはずはない。

 

ということは、特に働く意志はないが、その意志があるというフリをして、本来、働く意志がある人だけが受給されるべき失業手当を受け取ろうというのだから、凪の行為は立派な失業手当の不正受給という犯罪行為ということになる。

 

一般的な読者は、この凪の詐欺行為に対し、どういう見解を示すのだろうか? みんなやってるし、どうせバレないし、別にいいや! と、いった考えなんだろうか? コナリミサトは、不正行為についてどう思っているんだろう? そして、坂本さんの石は、不正受給のカルマを浄化しているんだろうか?

 

 

 坂本さんのTシャツ

初回登場時、坂本さんのTシャツに書かれていた言葉は、"Trust me, I'm an asshole"(信じてよ、私は肛門だ(嫌なやつだ)。)。 ちょっと笑った。

 

ついでに言うと、おばあさんが見ていた映画も、「マンモー二」って、なんやねん! と、ツッコミを入れたくなった。

 

 

凪の胸

 どうみても、凪は巨乳として描かれているように思う。1話目で、凪は、女性の同僚に対抗しうる自分の唯一のカードは慎二だと言っていたが、一般的には、巨乳の女性の方がモテる傾向にあるのだから、巨乳も結構、大きなカードだと思う。しかし、1巻の段階では、これに関し一切触れられていない。

 

凪が巨乳を武器と考えておらず、逆にコンプレックスに思っているのなら、そういったエピソードがあるべきのように思う。

 

 

一円め、二円め、

この漫画では、それぞれのエピソードを「1話」、「2話」。。。と呼ばずに、「一円め」、「二円め」。。。というように呼んでいる。 これだと、あたかも、この漫画は、お金の話中心の漫画のような印象になるが、この漫画は、凪が貯金をするというようなことがメインで描かれたものでもなければ、貧しい凪が金銭的な成功を収めるまでの立身出世の物語というわけでもない。特に理由もなく、こういったことをしているのなら、浅はかな感じがする。

 

ちなみに、「きみが心に棲みついた」では、それぞれのエピソードが「Addict 1」、「Addict2」と書かれている(「きみが心に棲みついたs」の方では、「Story 1」「Story 2」)。 コナリミサトは、これを(も?)パクったんだろうか? しかし、「きみが心に棲みついた」も、毎回、別の中毒者がでてくる漫画ではないので、こういったことをするべきではなかったように思う。

 

 

タイトル

1話目の最後で、「しばし、お暇をいただきます」とあるので、タイトルに含まれる「暇」は、主従関係を完全に断ち切るということではなく、休日と捉えるべきなのだろう。

 

「凪」については、どうだろう? 名前と捉えるべきか? それとも、時化の対義語として、風の止んだ状態と考えるべきか?

 

「凪」を名前とすると、この漫画は凪の休暇の話となるわけだから、最終的には、凪は、休日を終え、元の生活に戻ることになるのだろうか? ということは、また、会社で、空気を読んで生きていくことになるのだろうか?

 

タイトル中の「凪」が名前でないとすると、タイトルは、風の止んだ状態の休暇ということになるので、この漫画は、時化の状態のお話ということになる。となると、凪が、ガンガン波風を立てて行くという展開になっていくんだろうか? そういえば、ゴンさんは凪に「新しい風が吹いたみたい」だと言っていた。

 

勿論、タイトルに複数の意味があっても問題ないだろうし、タイトルに意味がある必要もないのかもしれない。作品を作る上での、お題がタイトルになるということもあるだろうから。しかし、タイトルは、作者が自分の作品につけているものなのだから、作品を理解する上での情報源として使わない手は無い。

 

 

  

総評

漫画の表現という面において、この作品は問題があると思うし、その表現力を補える程、話ががおもしろいかというと、そういうわけでもない。また、パクリ疑惑を無視したとしても、この漫画が、よく考えて作られたものだというふうには到底思えなかった。こういったことを考慮し、この作品(もう一度言う、「凪のお暇」1巻のみ)をABCDで評価すると、Dが妥当だと思う。

 

この書評をコナリミサトが読むかどうかはわからないが、おそらく、編集関係者は読むんだと思う。というわけで、編集担当者の方、そうです、あなたのことです。思った事を、ツラツラと書いていたら、結構、ボコボコな内容になってしまいました。私の問題視した点について、異論がございましたら、是非ともお聞かせ頂きたく思います。

 

と、こういう書評を書評サイト「本が好き!」に投稿しようとしたが、運営側から書き直すよう求められ、結果、退会。 他人に書評を書かせて出版社からお金を貰っているわけなのだから、まぁ、そうなるわなぁ。。。