感想記

ネタバレ注意。乾燥注意。

気狂いピエロ

2ヶ月程前、いきつけの輸入食品雑貨店の店員が、私はゴダールという監督の映画をおもしろいと思うかもしれないと、彼の「気狂いペエロ」という作品を勧めてきた。今回はこの作品についてのあれやこれや。

 

 ベラスケス

映画の冒頭で、主人公は美術についての本を音読していたのだが、その内容は大体次ぎの通り。

 

晩年のベレスケスは絵の対象をきちんと描かずに、空気や黄昏の色で対象を描いた。背景の影や色で人々を感動させた、それが沈黙の交響曲の核だ。彼の世界はフォルムと色の不思議な感覚だけ。それはひそかに進歩を続ける。空間が息づく、大気の波のように、湧き出たものが事物を形作っていく。そして香りのように拡散する。 (めんどくさかったので完全には書き写してはいない)

 

多分、この映画は、こういった絵画の表現を映画で再現しようとしたものなんだと思う。ベラスケスが絵の対象をはっきりと描かずに、色やフォルムの不思議な感覚だけで人々を感動させたように、ゴダールも、はっきりとストーリーが分かる映画ではなく、断片的なシーンの不思議な感覚だけの映画で人々を感動させようとしたのではないかと思う。

 

ここには「それはひそかに進歩を続け。。。」ともあるが、おそらく、ゴダールは、この映画の断片的なシーンが鑑賞者の中に様々な解釈を生み出すということを言いたいのではないのかと思う。主人公フェルディナンは、絵の解釈は鑑賞者が決める、とかなんとか言う台詞もあったことだし(少し探したが、見つけられなかったので、どことは言えないけど)、映画の解釈も鑑賞者が決めるものなんだ、ということなんだろう。

 

さて、ここで述べられているベラスケスの晩年の作品がどういうものなのか気になったのでネットでベラスケスの絵を見てみたが、フェルディナンが読んでいる本の作者がどの作品について書いていたのかよくわからなかった。
 

「The Fable Of Arachne」や「Villa Medici, Pavillion of Ariadne 1630」が、本の著者の念頭にある絵のような気もするが、前者に関しては、画面中心の人物の顔以外は、はっきりと描かれていたし、後者に関しては、人物が空気の色で描かれているような気もしなくはないが、ベラスケスは1660年まで生きているので、多分、晩年の作品ではない。

 

というわけで、イマイチ本の著者がどの絵について話していたのかよくわからなかった。多分著者の言う、対象をはっきり描く、ということと、私が考えていたそれとの間に隔たりがあったのだろうけど、でも、映画に関する解釈はそんなに間違っていないんじゃないだろうか? まぁ、解釈は鑑賞者が決めるものならば、間違っているとか正しいとかいうこは、映画の解釈に当てはまるような物ではないのかもしれないが。

 

(余談ではあるが、Joel-Peter Witkinがベラスケスの「Las Meninas」を元にして作った写真は素晴らしい。Witkinの作品は殆ど全部素晴らしい。)

 

 

映画とは?

フェルディナンはパーティーで出会ったアメリカ人の映画監督に、映画とは何か?、と聞いているシーンがあった。それに対し、監督は映画とは、闘いの場、愛、憎しみ、アクション、暴力、死、一言で言うと感情だ、と言っていた。

 

この発言を元に、この映画を考えると、この映画は、闘いの場、愛、憎しみ、etc.の寄せ集めとして見る事ができると思う。

 

でも、アメリカ人監督の発言に対し、フェルディナンは、「あっ、そう」と言わんばかりに、彼との会話をそれ以上続けなかったし、パーティーにいた人間はバカばかりだ、と家に戻ってからマリアンヌに言っていた。

 

ということは、この映画は、映画とは闘いの場、愛、憎しみ、etc.という考えに対する批判なのだろうか? だとしたら、ゴダールのやっていることは、闘いの場、愛、憎しみ、etc.だけの映画を作って、それがどれほどつまらないものなのかを鑑賞者に見せているということなんだろうか?

 

 

物語と人生

フェルディナンが車でマリアンヌを家まで送っているシーンで、マリアンヌが、人生も物語のように明確で論理的で整っていればいいのに、と言ったのに対して、フェルディナンは、物語と人生は意外に違わない、と言っていた。

 

物語と人生とが意外に違わないというのはどういうことなんだろう?

  1.  物語も人生同様、明確ではなく、論理的に整っていない?
  2.  人生も物語同様、意外に明確で論理的に整っている?

 

可能性1だとして考えると、

この映画は明確ではないし、物語も論理的に展開していないので、この映画は可能性1の例であり、マリアンヌの意見に対する反例みたいなものなのかもしれない。もちろん、マリアンヌの意見が既存の物語に対してのものなら、新しく可能性1的な物語を作っても、それではマリアンヌの意見が間違っているということにはならない。

 

可能性2だとして考えると、

人生はこの映画と比べると、よっぽど明確で整っている。したがって、人生は意外に一般的な物語と同様に論理的で整っている、ということになるんだろうか?

 

 

総評

新しい事をしようとしているという点においては評価できるけど、見ていて特におもしろいとは思わなかったので、ABCDでの評価はC。