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感想記

映画、音楽、小説、アニメ等、あれやこれやと乾燥機

ライ麦畑でつかまえて

どこかの小説ランキングサイトで一位になっていたので読んだ作品。日本語訳のタイトルからは、クライマックスで20代の男女がライ麦畑で抱き合うアメリカ南部の田舎町を舞台としたラブストーリーを想像し、原文のタイトル(The Catcher in the Rye)からは、野球の話、もしかしたらケビン=コスナー主演映画「フィールドオブドリームズ」の原作かもしれない、などと考えながら私はこの本を読み始めたのだが、実際はニューヨークに住む16歳の少年ホールデンが彼自身の数日間を語ったお話だった。

 

16歳が語っている話という設定だから、作者のJ.D.サリンジャー(女子大生ではない)は話し言葉でこの小説を書いているが、一般的なアメリカ人の16歳くらいの少年がホールデンのような話し方をするのかどうかは不明。ホールデンの話し方は確かに子供っぽい気がするけど、私にとっての一般的な16歳の話し方は"I was like...and he was like..."というように"like"を連発するような感じだから、私の頭の中の16歳の話し方とは少し違う。でも、小説が書かれた当時の16歳達はホールデンみたいな話し方をしていたのかもしれないし、ホールデンは一般的な16歳とは違うのかもしれない。

 

読んでいて私が一番気になったのは、何か一つでも好きなものを挙げてみろとフィービーに言われたホールデンが、その日の朝に出会った修道女達(特に銀縁メガネをかけていた方)と以前いた学校のクラスメイト、ジェームズ=キャッスルのことを思い出したことだった。

 

なんでホールデンはこの時修道女達とジェームズのことを考えたんだろう?

 

単純に、ホールデンが修道女達とジェームズのことが好きだったから?

 

とすれば、なんでホールデンは彼女達のことが好きだったんだろう? ホールデンが好きなタイプの人間とはどういう人達なんだろうか?

 

修道女達のでてきたくだりを見返しててみると、16章にホールデンが彼女達のことを好きだとはっきりと言っている部分があった。その部分でホールデンが話しているのは、自身の叔母やサリー=ヘイズの母親が慈善活動に参加するとしたらそれは、自分がいい人だというアピールのためとかで他人のためではないということだったので、ホールデンが修道女達のことが好きな理由は多分、修道女達が自分のためではなく人のために慈善活動をしているからじゃないだろうか?

 

ちなみに、ホールデンが弁護士になりたくない理由を話している部分があって、そこでホールデンは弁護士になって無実の罪を着せられた人を救うのはいいことだけれど、人のことを救っている弁護士が人を救いたいから弁護士をしているのか、裁判に勝って周りからちやほやされたいから弁護士をしているのかわからないから、弁護士にはなりたくないと言っている。ということで、ホールデンは、純粋に人のためにそれをしたいという気持ちから、そのことをしている人が好きなのだろう。

 

(なんかカントの倫理っぽい。興味がある人は「Groundwork for the Metaphysics of Morals」のmorally praisewrothyということについて書かれてある所を読みましょう。)

 

次、なんでホールデンはジェームズ=キャッスルのことが好きだったのだろうか?

 

キャッスルについてホールデンが語った事を挙げると、キャッスルは

 

ホールデンの以前行っていた学校の同級生だった。

・弱々しい感じの目立たない生徒だった。

・あまりホールデンとは親しくなかった。

・フィル=スタビールというイヤミな感じの生徒について「スタビールはイヤミな人間だ」といったような趣旨の発言をした結果、スタビールとその仲間達に部屋に監禁され、発言を訂正するように強要された。しかし、それには応じず窓から飛び降りて死んだ。

 

ここからうかがえるホールデンがキャッスルを好きな理由は、キャッスルが暴力に屈して正しい意見をねじ曲げるということをしなかったからではないだろうか?(もちろん、キャッスルのスタビールに対する考えが本当に正しいものだったかったかは分からないけれど、ホールデンもスタビールを嫌なやつだと感じていたようなので、彼はキャッスルの意見を正しいものと考えていたのだろう。)

 

ということで、ホールデンは正しい事を正しいと言える人達がお好き。

 

うーん、ホールデンが好きなタイプの人間はひとくくりにできるんだろうか? phony(ホールデンがよく使う言葉)じゃない人達ってことなんだろうけど。ちょっといいまとめ方が思いつかない。

 

さて、正しい事を正しいと言っていたり、人のためになるからという理由でなにかをしている人達が幸せになれるかというと、そうではないのかもしれない。善人よりも悪人の方が楽しく生きているということは多々あることなのかもしれない。ホールデンはそのことに対して理不尽さを抱いていたんじゃないだろうか?

 

キャッスルが死んだのにもかかわらず、スタビール達は学校を退学になっただけで、刑罰を受ける事はなかった。ホールデンはこのことに憤りを感じているようだったし、ホールデンは修道女達が高級なお店で食事をする機会がないということが悲しいと言っていた。人のために何かをしている人が経済的に裕福ではないことが不公平に感じられたからではないだろうか?

 

(正しい事をしている人が必ずしも幸せであるとは限らないのは不公平だ、だから、天国でその不公平を解消する神様がいるに違いない、といったカントの考えを思い出してしまった。興味がある人は「Religion within the Limits of Reason Alone」を読みましょう。J.D.サリンジャーはカントの本を読んでいたんだろうか?)

 

ホールデンはこのよう不公平を是正したいと思っていたのではないだろうか? 少なくとも、キャッスルのような人を救いたい、ホールデンの頭の中で学校の寮の部屋から落ちて行くキャッスルがライ麦畑の崖から落ちて行く子供になって、また、それに対しなんとかしたいという気持ちから、ホールデンライ麦畑の崖から落ちようとする子供を救う人(the catcher in the rye)になりたいと言ったのではないだろうか?

 

こう考えると、この小説の世界観、暗い。純粋に人のためになにかをしている人達は貧しい生活を送り、正しいことを正しいと言った人間は死に、そういった人達を救いたいと思う人間、ホールデンも異常者として精神病院に送られ、そこでこの話をしている。うん、暗い。

 

付け加えると、ホールデンが精神病院に送られたのもキャッスルのように正しい意見を述べた結果じゃないだろうか? 25章で、ホールデンは5番通りの歩道をおりた時に、どこかへずっと落ちて消えてしまう気がしたと言っていた。ホールデンも自身がキャッスルのようにライ麦畑の崖から落ちそうな子供だと感じていたんじゃないかな? それから、歩道を降りてから消えずに道路をわたりきった時、ホールデンはアリーに感謝していたけれど、ということはthe catcher in the ryeはアリーのことなのだろうか?

 

 

気になった事、その2

 

カール=ルースは年上の中国人女性とつきあっているが、ホールデンはルースをゲイじゃないかと疑っていた。

 

ミスターアントリーニも年上女性と結婚しているが、ホールデンに性的興味あり。

 

ということは、この小説の世界の中では、年上の女性に関心がある男性は男性にも性的関心がある?

 

おやっ。。。 ホールデンは電車の中で会ったアーネスト=マーロウの母親に性的な興味があると言っていた。となるとホールデンも実は男好き? 結局、サニーとセックスしなかった理由はそれ?

 

そういえばホールデンは二人の修道女のうち特に銀縁メガネの方が特に気になっていた、それから、この修道女について、彼女はマーロウの母親に似ているとも言っていた。うーん、どういうこと?

 

ゲイの男性が同性愛に対して寛容でない社会において、それを否定するために女性とつきあうようような感じなんだろうか? 実際は、ゲイ、でも認めたくない、もしくは世間体のために、ゲイじゃないふりをして女性と付き合う、それがカール=ルースとミスターアントリーニがやっていることなんだろうか? ホールデンも女性に興味があるふりをしたかったんだろうか? 修道女とならセックスはない。しかも、マーロウの母親似でセクシーな見た目ってっことで女好きアピールにはちょうどいい。だから気になってたってことなの? それとも、カール=ルースもミスターアントリーニもホールデンも、みんなただ単にバイセクシャル

 

 

というわけで、この作品はよく考えて書かれているようだけど、別に読んでいてそれほどおもしろいとは思わなかったので、ABCDでの評価はC。ちょっと厳しめかな?

 

その他、考えたらおもしろいかもしれないこと:

 ・なんで赤いハンチングハット?

 ・セントラルパークのアヒルは冬の間どこに行くんだ?

 ・ホールデン性的虐待を学校で何度も受けていたのか?

 ・ホールデンが彼の話の登場人物達を恋しく思ったのは何故?

 ライ麦畑で崖から落ちそうな子供と関連させて、

 ・ミスターアントリーニの紙に書いたアドバイスについて

 ・メリーゴーランドから落ちそうな子供には何も言わない方がいいとホールデンが思っているのは何故?

 

他にも色々考えて遊べそうだけど、今はそこまでしたいとは思わないかな。